なんやかんや詰め込んだ
恐ろしいことに、もうすぐ10月が終わろうとしている。はやいなぁ……
言ってる間にもう冬です。
10月11月は、私ら、エセ歴史オタクにとっては多忙の時期である。秋季特別公開やら特別展やらで資金はもとより、体力も底をつく。特に去年のこの時期は、京博で国宝展なる祭が開催されていたので色々キツかった。受験勉強をおざなりにして、2週間ごとに入場料千円の出費は高校生にはキツいんですよ、本当に。私の一ヶ月のおこづかいは五千円でしたしね。子供を甘やかさない善良な家庭でしょ。
そんな話はどうでもよくて。
今日は京都府京都市堀川寺ノ内にある茶道資料館に行ってきたので備忘もかねてちょっと書きます。
おいおい。そういう話はTwitterでしろよ!!毎回毎回どーでもいい報告ツイートしやがって。ていうか、お前のツイート、エセ歴史オタク感丸出しでつまんねーわ!もっと日常の些細なこと呟けよエセオタクが!
と憤慨される読者さまもいらっしゃると思いますので、言い訳します。というか、させてください。
私だって日常のこと呟きたいよ、!華のキャンパスライフお届けしたいよ!!でもお届けできないもんはしょうがないだろ!!私だって「今日は彼氏とデート💑🍴🍸」とかやりたいよ!!!こっちだって、好きで「本日は○○博物館▲■展へ。………」とかやってるわけじゃないから!!!!という訳で、頼むから彼氏降ってこい!頼むから!神様!
皆様、ご理解頂けましたでしょうか。ふぅ、スッキリした…。
話を戻して、茶道資料館では現在、平成30年秋季特別展として「酒飯論絵巻」が展示されてます。日本史教科書・資料集には載ってないので、一般的にはマイナーな絵巻ですが、抜群に面白いです。なんというか主題がくだらない(怒られるかな)。読んで字のごとく「酒と飯とどっちが上か」というよくわからんことを、三人のええ年した大人が論争するという話。しかも、その三人の登場人物の名前がこれまたふざけてる。
「酒飯論絵巻」文化庁本より第一段
右上の青い着物のダンディーなイケメン男性が、造酒正糟屋朝臣長持(ミキノカミ カスヤノ アソン ナガモチ)。………長い。センター試験とかで、自分の名前マークするのに3分ぐらいかかりそう。というか、まず枠に入りきらないか。このイケメン、結構名前でネタバレしてるけれど大の酒好き。画像では分かりにくいが、着物は笹文様(女房ことばで笹は酒のこと。女房ことばは現在でも多く残る。例えば、鰹をおかかとか。水をおひやとか)。
左の坊主は、飯室律師好飯(イイムロ リッシ コウハン)。好飯と言うだけあって大のご飯好き。お酒は飲めない。
真ん中の彼は、中左衛門大夫中原仲成(チュウザエモンノ タイフ ナカハラノ ナカナリ)。……長い。彼は中庸派。酒も飯も適量が一番というタイプ。
この三人の論争を二段、三段、四段、と追っていく絵巻が今回の「酒飯論絵巻」。ね、くだらないでしょ。大好きです。
驚いたのは、茶道資料館の展示が、単なる「ストーリーを楽しみましょう」ていう感じではなかったこと。この絵巻、近世を通して人気があったようで写本が何本か現存している。その一つが先程の文化庁本。他にも狩野派系統の酒飯論絵巻は十本現存している(内四本は海外へ流出してしまったが)。今回の特別展では三時知恩寺本(サンジチオンジ、上京区上立売、同志社大西)、茶道資料館が所有する茶道資料館本、群馬県立歴史博物館本の三本が集結し、各本ごと差違を楽しむことができる。
上から順に、文化庁本、三時知恩寺本、茶道資料館本、群馬県立歴史博物館本。酒好きダンディーイケメンこと長持さんの比較。いづれも「酒飯論絵巻」第二段。
急にオッサンが立て続けに画面を占領して恐れおののいた読者様もおられるかと思うが、覚悟を決め、頑張ってもう一度見てきてほしい。酒好き派の長持の顔が、ちょっとずつ(いやだいぶ)、それぞれで異なるのがわかると思う。これらは写すときに改変が加えられた(もしくは適当に写した)から生じた差異のようだ。結構大雑把な絵師だったのか二枚目はもはや別人である。
こういった絵巻各本の違いを見せる展示は初めてでなかなか面白かった。是非ーーと煽っておきながら申し訳ないが開期が残り少ない。厳密にいうと、前期があと数日で終わってしまう。おぼろげな記憶だと11月4日までだったかなぁ…。後期は12月頭までやってるみたい。もちろん後期も行きます。
詳しくは茶道資料館HP−裏千家ホームページ 茶道資料館
展示に大いに満足して、その後てくてく歩いていると、資料館のすぐ横にお寺を発見。
一応、平安貴族っぽく、垣間見してみたが何も見えず。単純に不審者と思われたか。
ちょっとまわると入り口があって中へ。
門跡寺院らしく、屋根には十六紋菊が咲き乱れる。慈受院の由来が書かれる看板の最後には「慈受院には今も皇室ゆかりの調度品などが数多く残る」とある。自称トレジャーハンターの血が騒ぐ。あまり更新されてないようだが、一応。慈受院HP慈受院 薄雲御所
拝観謝絶ということで少々がっかりしながら、またてくてくと南へ下る。すると、すぐにまた別の寺院建築がちらりと見える。寺ノ内すげーーと内心叫ぶ。
臨済宗宝鏡寺。こちらも門跡寺院。門より入ると右手に人形供養塔らしきものあり。「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか」から始まる碑文が刻まれる。個人的に人形供養関係は、粟嶋堂宗徳寺(下京区)でトラウマになったためか、少し背筋がヒヤッとする。今回も例外ではなかったので念仏を唱えながら早めに退散。(↑粟嶋堂宗徳寺)
そのまま宝鏡寺の塀に沿って東へてくてく。立ち入り禁止ゾーンなので詳しいことはわからないけれど、境内は相当広い模様。建築物も立派。
画面左奥の門が先程入った門。撮影場所がちょうど塀が90°に曲がる地点、つまり宝鏡寺の東端。相当の敷地面積を誇ることがわかる。宝鏡寺HP百々御所宝鏡寺-人形寺-
感心していると、どうやらまた次のお寺に着いてしまったらしい。
妙○寺とか光○寺は日蓮宗が多いという方程式をがっちり適用できる妙顕寺も、ばっちり日蓮宗寺院である。数多の塔中(タッチュウ,別院のこと)をもつ巨大寺院でした。
松の木が物凄くきれいに手入れされ、しかも正面の大本堂の屋根が高くておぉ……となる。境内に尾形光琳の墓があるらしいので探してみるが、これが全く見つからない。途方にくれる。
仕方ないので諦めて境内を散策。立派な渡し橋(こういう、堂と堂をつなぐ橋の正式名称わからないので誰か教えてください)。木を組んでどうやって作るんだろうと思って下から見上げると、思いっきり釘かネジかが使用されてました。そりゃそうか。
その後もうろうろ……。すると、知らないマダムが「光琳のお墓やったらあっちやで。右曲がってすぐ」と教えてくれる。何でわかったんだろう……。彼女はエスパーか何かだろうか。
ようやく見つけた光琳のお墓。でも実際には顕彰碑。以前はここに墓があったらしい。2015年に光琳没後300年を記念して顕現碑にチェンジ。(チッ、余計なことを。…怒られますね。そんなこと思ってませんよ~~)
気付けば17時まわってるので、とっとと帰らねば。しかし急いでるときに限って、面白いものを見つけてしまう。
妙顕寺塀沿いに吊るされた看板らしきもの。内容は「日蓮が亡くなった旧暦10月13日に十月桜が咲いたという言い伝えがあり、そのことから日蓮宗界隈では、十月桜をお会式桜と呼ぶ。妙蓮寺のものが有名」と。ふと見上げてみると真上に桜の木。
ちょっと咲いてる…。ややこしいが、ここは妙顕寺なので、十月桜が有名な妙蓮寺ではない。妙蓮寺は後期展のときに行こうか。
はっ…!帰らないと。へぇ…日蓮さんは10月13日に亡くなったのか。あっ、そういえば、10月14日は我らが堺雅人公の誕生日であられたなぁ…。堺雅人聖人は今年で45才になられました。遅ればせながらおめでとうございます。『プーと大人になった僕』最高でした。ありがとうございました。また大河出てください。リーガルハイもまた復活してください。ありがとうございます。
このかっこよさは言葉にできない……。ありがたや、ありがたや(拝)
ということで帰宅。
冗長すぎる駄文でしたね。最後までたどり着けた読者の皆様、お付き合い頂きありがとうございました。次回はもっとコンパクトにまとめたいけれど、、、(多分無理)